伝統の刃物で、17歳の山口は政治家浅沼を暗殺 1960年東京

1960/10/12 17歳の極右学生山口乙矢は東京で演説中に社会主義政治家浅沼稲次郎を刀で殺害します。

1960年10月12日、17歳の極右学生山口乙矢は、東京で演説中に社会主義政治家浅沼稲次郎を刀で殺害する。

写真は、山口が浅沼を刺した直後に撮影され、その前に拘束されたが2刺目を試みているのがここで見られる。 山口音也は日本の右翼ウルトラナショナリスト集団のメンバーであった。 浅沼稲次郎は、日本の社会党のリーダーであった。 戦後の日本では珍しく社会主義を強力に主張し、特に中国共産党への支持は物議をかもした。

浅沼が暗殺されたのは、来るべき衆議院選挙に向けたテレビ討論会の最中であった。 浅沼が東京・日比谷公会堂の演壇で演説している最中に、山口は壇上に駆け上がり、浅沼の左肋骨をよろい戸で貫き、浅沼を殺害したのである。 日本のテレビ会社NHKは、後で送信するために討論会をビデオ録画しており、浅沼の暗殺のテープは何百万人もの視聴者に何度も見せられた。

事件の映像は、日本のテレビ会社によって生中継されていた。 スローモーション映像の0:27ごろに撮影されたものである。 カメラのフラッシュや、皆が駆け寄る中で暗殺者がとるポーズまで写真で確認できる。 彼は押されたり引きずられたりして、右から入ってきたにもかかわらず、2回目の刺客のこの写真では数秒後に左側にいるのです。

犯人の山口乙哉は、とりわけ西洋の影響を排除し、日本の伝統文化を取り戻そうとするグループの一員でした。

暗殺から3週間も経たないうちに、少年院に収容されていた山口は、少量の歯磨き粉を水に混ぜ、独房の壁に書きました。 「祖国のために七つの命を。 天皇陛下、万歳!」。 そして、ベッドシーツをロープ状に結び、照明器具にぶら下げた。 七生報国」は、14世紀の侍、楠木正成の遺訓にちなんでいる。

興味深い事実:

  • 犯人が使用した刀は「よろいどおし」と呼ばれ、封建時代の日本の武士階級が身につけた伝統的な日本刀(ニホント)の一つです。 鎧を貫通させたり、近接戦闘で突き刺したりするために作られた。 大きさは20cmから22cmだが、中には15cm以下のものもある。

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